代表土屋の経歴とこの学童のこれまでの経緯をお読みになり、
この学童がシュタイナー教育関連の施設という印象をお持ちになる方もいらっしゃるかと思います。
起源および足跡についてはもちろんすべて事実ではありますが、少なくとも現在の
「なごみこ育みの家」になって以降に関しては
私はシュタイナー関連の子ども施設とはとても呼べるものではないと考えております。
この学童で子どもたちを見守る指導員スタッフたち、ご利用いただいている在籍家庭のみなさま
どなたに聞いていただいても、たぶんシュタイナーの話は出てこないと思います。
今となってはDNAの一部に残っている程度、と言えるかも知れません。
日常の保育の中では、おやつや食事のときにみんなで歌をうたいますがそれは前身時代から
続いている習慣です。
代表の私はシュタイナー教育に出会って20年以上経ち、その途中ではさまざまな人との出会いが
ありましたがすでにシュタイナー関連コミュニティとの付き合いはほぼなくなっています。
トラブルがあって交流が途絶えたとかではなく、個人的には今も敬意を持ち応援しておりますが
もともと人見知り激しい性格なので自分から付き合いを広げていくことはあまりしないため
当時から基本流れに任せるだけでしたので、日常が忙しくなり遠くなっていけば自分の中での
影響力も下がっていきました。
あくまで私見ですが中には思想的にリベラルな方もいらっしゃって体制に批判的、
少数勢力の意見を尊重すべき、というお考えの方の強い主張についていけなかった、
望んでいないのに必然的に少数派を実感させられてしまう自分は疲れを感じていたのかも
知れません。
(そもそも批判や他者との論争を好まず、白黒付けるよりバランスを取りたいタイプなので)
そうなってしまった最大の理由は、私自身のしたいことがシュタイナー教育の実践ではなく
この学童の存続にあり、どのような形でも続けることにあったからだと思っています。
私一人の組織になるまでの頃は、私に対して学童としてこうしたいという強い思いや
はっきりした理念が必要だ、そうでないと続かない、と数え切れない人たちから言われてきました。
そのすべてに耳を傾けてきたつもりでしたが、そうした声には十分応えられないでいました。
今では、その「大切なこと」は明確に言語化できるものではなかったからだと思っています。
そして学童は今も続いています。その事実があるだけです。
内容を断片的に切り取っていただきたくないのですが、個人的にシュタイナー教育自体は
昔も今も素晴らしいものと思っており、この地域および全国の関連施設の発展を応援しています。
ただなごみこ学童のある滝川学区および周辺学区は名古屋の中でも文教地区として名高く、
小学校入学後のお子さんに対して多くの保護者の方々が求めるものとは必ずしも適合しません。
その傾向は私が子育てしていた時代からもさらに強まっているのを感じます。
この地域この場所で学童施設を維持していく上での現実的な問題を踏まえ、理念を追求する
よりも多くの家庭の預かり需要にできるだけ応じられる施設として生き残る選択をした、と
お考えいただければと思います。
付き合いがないと書きましたが唯一やまさと保育園だけは隣接していることもあり身近で、
先生方は私にとって大事な存在です。やまさと保育園の附属学童と誤解されることも
多いのですが、経営はもちろん保育内容に関してもまったく独立した施設です。
それだけに、この学童に入ればシュタイナー教育に根ざした保育が受けられる、と
お考えの方のご期待には正直沿えないかも知れません。逆に言えば、この学童はシュタイナー
教育だからうちの子には合わないのではないか、と敬遠される必要もないかと思います。
お日さまこどもの家時代に長く主任指導員を務められた方(故人)はやまさと保育園との
つながりも深く、シュタイナー教育の素晴らしさに根ざした学童であることを誇りに保育を
行っておられました。うちはよそとは違う、普通の学童の子どもたちは可哀想だ、とまで
おっしゃっていました。
その方のシュタイナー観は独自色もかなり強かったのですが、私は自分には真似できないので
たいへんに尊敬しつつも、子どもとしての本質はよその子たちも何ら変わることはなく、
それぞれの場できっと生き生きした日々を過ごしているはず、と思いたかったのと、
発せられる言葉に閉鎖的なニュアンスを感じられたのが少し気になっていました。
その後、名実ともに私がこの施設を代表する存在となり、当時からは考えられないくらい
教育方針のまったく異なる保育園からこの学童に入所するお子さんが現れるようになりました。
いろいろな保育園幼稚園出身で、いろいろな小学校に通うお子さんが集まっていますが
それでも「なごみこの空気感」として成立しており、お子さん方は違和感を感じることなく
日常を過ごしています。
さまざまなバックグラウンドを持つお子さん方を広く受け入れるようになったことで、
知名度も少しずつ上がり児童数も増え、社会により貢献できる施設に成長できました。
経営的にも安定するようになったので、私はこれで良かったのだと思うようにしています。