2年以上前に最初に書いた『「否定しない」ということ』と一部内容が重なりますが
あらためて思うことも多いので繰り返し書いてみました。
2022年実施の入所説明会で私は、自分は昭和の価値観に合わなかった、
子ども時代から青年期までずっと生きづらかったという話をしています。
映像(一般には非公開)でもご覧いただけます。
私は70年代に子ども時代を過ごし、80年代にティーンエイジャーでした。
いわゆるバブル世代に当たります。
当時を知らない人たちから羨ましがられたり、時には目の敵にされたりもするのですが
今の時代でも不安なく調子に乗っている人が一定数いるのと同様、
あの時代もすべての人がバブル景気に浮かれていたわけではありません。
時代の波に乗れず苦しんでいた人だってもちろんいます。
当時の子ども若者たちの間では「ネクラ」という言葉が悪い意味で流行っていました。
昭和の価値観では男子なら元気よく活発、力強さを感じさせる子、
もしくは面白いことを言って皆に笑顔をもたらす子がスクールヒエラルキーの頂点にいて、
真逆の性格を持つ子は人として劣った存在とみなされていました。
「口数少ない」「スポーツ苦手」「友達少ない」「声小さい」「手先不器用」
これらは「欠点」であり「直さなければならない」とされていました。
子どもたちは大人よりずっと狭い世界に生きています。
親や先生など身近な大人たちがそう言う、そう考えるのなら
それはすべて疑う余地もなく正しいことであり間違っているのは自分、
期待に応えられないのは自分の努力が足りないとしか思えなくなってしまいます。
不幸なことに私の周囲の大人たちも、この時代の価値観に全員支配されており
日々絶望を感じていました。自分自身が巨大な不安に苛まれているというのに
追い打ちをかけるように「変わらなければならない」と変化を求められていました。
まともな大人になれない、と言われていた自分も、時が経ち大人になりました。
平成、令和と時代が変わり、人の親にもなりました。
そして今は次の世代を担う子どもたちの日常を預かる仕事をしています。
この年齢になっても、長所より欠点のほうにばかり意識が向いてしまいます。
子ども時代に言われた言葉は呪いのように人を縛ることがわかりました。
昭和どころか平成も終わってしまい、昔を懐かしむ人も多くなりました。
芸術やファッションなど文化的なことは古くても人を傷つけることはありませんから
レトロブームも結構なことと思います。
しかし子どもに対する接し方について昭和の価値観を持ち出すのは、単なる時代遅れ
では済まされない弊害が多いと思っています。
学童に通う子どもたちと保護者たちは毎年新しく入り、そして去っていきます。
自分と親子たちの年齢差は開いていく一方です。幸か不幸か、私は昭和になんて
絶対戻りたくないと心から思うので自分の経験を今に当てはめたいなどとは
決して思いませんが、当時の思い出がポジティブに残っている人の中には
若い世代の人たちに同じ子育て観を押し付けてしまうこともあるかも知れません。
昭和と令和の価値観の一番の違いは多様化、「普通」の幅が大きく広がったことにあります。
これによって昔なら救われなかった子どもたちが今は自信を持って生きられるように
なりました。それが令和の価値観なのだとしたら、数十年経ったらまた違う世の中に
なっているのかも知れません。しかし狭かった視野が広がること自体は純粋に進化だと
思いますので、それが自分の思いもよらない広がり方になったとしてもしっかりついて
いけるよう、自分をアップデートし続けていきたいと思っています。
(これについては昔から今も変わらぬ新しもの好きなので自信があります)