子どもに寄り添える力

ことさらに暑かった季節がようやく終わり、やっとゆっくり考え事のできる気候になりました。
このコラムの更新はかなり久しぶりになってしまいましたが、先日行った令和7年度入所説明会(2024/10/18実施)で少しだけ話したことを少し膨らませてみたいと思います。

この仕事をしていると、子どもたちはもちろんですが自分より若い世代の大人たちと出会う機会も自然と多くなります。平成中期から今の令和時代にかけて、これまで数多くの若者たちに指導員として関わってくれてきました。彼らを見ていて、子どもに寄り添う言葉がごく自然と出てくることには尊敬の念を禁じ得ません。自分にはなかなかできないことの一つです。

「寄り添う言葉」は必ずしも子どもに何かトラブルが起きている時に限りません。未就学児ではより顕著なのですが、例えば絵を描いた、工作を作ったなど創作したものを見せに持ってきたり、楽しかったうれしかったなどの感情をごく日常的に大人に打ち明けてきます。
その時に出てくる「えーすごいね」「よくできたね」などの言葉も、子ども本人に寄り添う姿勢のひとつです。これが私にはなかなか言えません。「おーそうかそうか」くらいしか言えず、良いところを見つけて褒める言葉がすぐに浮かんでこないのです。
(その子と離れてから、こう言えば良かったかも、と思うことはよくあります)
自分はこの仕事をしていていいのだろうか、と思い悩んだことも一度や二度ではありません。

保育職なのだからできて当然、と思われるかも知れませんが、今どきの保護者たちを見てもまったく同じように思います。共感力というのは一般的に女性のほうが優れているので母親たちはもちろんなのですが、お父さまたちも私には到底出てこない言葉がけをされます。個人懇談会でお話を伺って良い意味で衝撃を覚えることもしばしばです。

これはおそらくは、自分が幼かった時に言われ慣れていないからだと思います。
「え? 声が小さくて聞こえない」「もっとはっきりしゃべりなさい」
「今そんなことしてる時じゃないでしょう」
など、自分に非があり注意されたことしか覚えていません。言わなければ良かったと思ってしまう反応ばかりでは口数も少なくなっていきます。これは両親だけではなく、自分の周りにいた大人たちみんながそうで、学校でも同じような記憶が残っているので時代だったのでしょう。
この仕事をしていると今の時代に生まれたかったと心底思いますが、おかげで子どもたちのネガティブな点はすぐに気づけてしまいます。もちろんそれを面と向かって指摘するようなことはしません。「悪いところを直すしつけ」は少なくとも自分の施設では重視したくないと思っています。